歴史発見マップ
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太宰府天満宮
![]() ※当写真の貸し出しは行っておりません。 | 菅原道真(すがわらみちざね・845〜903年)は、学問に秀でた菅原一門の血をひく平安前期の学者政治家で、宇多・醍醐両天皇の信任厚く、文章博士・蔵人頭などを歴任、右大臣となりましたが、901年藤原時平のざん訴により大宰権帥に左遷され、翌々年配所で亡くなりました。 菅原道真は生前、謹厳にして至誠、死後は学問の神様、天神様として、全国各地に祀られ、広く民衆に信仰されるようになりました。 菅原道真の墓の上に建てられたのが太宰府天満宮で、現在の本殿(重要文化財)は1591年(天正19年)の再建です。 | ||||||
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光明禅寺
![]() ※当写真の貸し出しは行っておりません。 | 天神様と禅宗の教えが結びついた渡宋(唐)天神の伝承により、鎌倉時代(1273年)に創建された寺。一般 には苔寺として親しまれています。苔で陸を、石を配して”光”の文字を描いた石庭があり、紅葉やシャクナゲなどが四季に彩 りをそえています。 |
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観世音寺
![]() | 『源氏物語』にも登場する観世音寺は、御母斉明天皇追悼のために天智天皇が建築を発願され、80余年の歳月をかけ、奈良時代(天平18年)に完成しました。当時は南大門・中門・五重塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵など、七堂伽藍を備え、九州の寺院の中心的存在でした。現在は、江戸時代に再建された講堂と金堂(県指定文化財)のニ堂が残っており、往時の大きさをしのばせる日本最古の梵鐘(国宝)、平安時代から鎌倉時代にかけての仏像(全て重要文化財)も数多く残り、境内で見学することが出来ます。 |
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戒壇院
![]() | 奈良時代に観世音寺に置かれ、奈良の東大寺、下野(しもつけ・栃木県)の薬師寺と並ぶ天下三戒壇のひとつです。西日本で仏門に入る人はここで戒(かい)をうけて僧尼となりました。本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)は平安末期の作で、重要文化財です。 江戸時代に観世音寺を離れ、現在は禅寺となっています。(平成6年に修復)
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学校院跡
奈良時代、中央には大学、諸国には国学、大宰府には官吏養成のための学校院(学業院)がおかれ、明経・算・医の三学科がありそこでは九州一円の国司・郡司の子弟が学びました。
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大宰府政庁跡
![]() | 7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通 して、九州を治め、わが国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)としました。太宰府は南北22条、東西24坊の都市計画があったという学説があります。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものです。万葉集には”遠の朝廷(みかど)”と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残り、そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて公園となっています。
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筑前国分寺跡
![]() | 奈良時代、聖武(しょうむ)天皇は全国に国分寺・国分尼寺を建て、その中心として奈良の都に東大寺を建てて大仏をつくり、仏に守られた豊かな国をつくろうとされました。筑前国分寺もそのひとつで、現在は、見事な礎石が残る塔跡と講堂跡、そして金堂跡に建てられたお堂の中にある平安時代後期の伝薬師如来(でんやくしにょらい・重要文化財)等から昔をしのぶことができます。
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国分瓦窯跡
太宰府政庁は8世紀はじめ頃に瓦屋根に建てかえられます。その瓦窯は日干煉瓦をアーチ式に築いた全長5mほどの地下式登窯でここ政庁西側の丘陵に幾つもつくられていました。
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筑前国分寺尼寺跡
国分寺尼寺跡は国分寺跡から約300m離れた所にあり、8世紀後半に造られ約100年間という短期間のみ存続した遺構がみつかりました。
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水城跡
![]() | 博多側から南下してくると、太宰府市に入ってすぐに道路や線路を横切る木立におおわれた丘があります。これが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた大宰府の防衛施設「水城」です。その規模は全長1.2キロメートルにわたり、基底部で幅80メートル、高さ13メートルを越える人工の土塁(堤防)を築き、その博多湾側に幅60メートル、深さ4メートルの堀をつくり、水を貯えたものでした。近隣の春日市や大野城市にも、これに連鎖する小規模な水城が残っています。
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竈門神社
![]() | 「春は萌え、秋はこがるる竃門山」とうたわれるとおり、春は桜、秋は紅葉の美しい竃門山。その山上に上宮、麓に下宮が鎮座する竃門神社には、神武天皇の御生母、玉 依姫命が祀られています。 |
| □えんむすび 宝満宮竈門神社は、太宰府天満宮の奥にそびえる宝満山(かまど山)に鎮座するお宮で、玉依姫命えをおまつりしています。福岡県下には、十六歳になると(昔の成人式)、友達とそろって宝満山に登り、“良縁”をねがって“こより”を結ぶという信仰があります。 “良縁”良い結婚相手を得ること、これは誰しも願うことでしょう。でも“縁”ということは、結婚だけではありません。良い友にめぐりあうこと、良い師にめぐりあうこと、良い仕事にめぐりあうこと等々、いろんなめぐりあい、“縁(えにし)”をたいせつに育てることによって、人として生まれてきた幸せを手にすることができるのです。 霊峰宝満山(かまど山)の清々しい空気に触れ、きよらかな心で、玉依姫命に“良縁”をねがいましょう。 | |
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苅萱の関跡
苅萱道心と石童丸の伝説発祥の地として全国的に有名で、旧道の脇には石碑があり現在もこの付近を関屋といいます。
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